新たな市史編さん
市では、旧大島村、玄海町、宗像市が合併し、新たな宗像市として歴史を刻み始めてから10年が過ぎた今、新たな市史編さんの準備をしています。
平成27年は、市史編さんのための悉皆(しっかい)調査を実施し、宗像市内に眠っている貴重な文化遺産の掘り起こしをする予定です。
悉皆調査とは、「押しなべて、ことごとく、残らず」調査していくという意味です。各地域に入り、市民のみなさんに市の歴史を物語る貴重な文化遺産がないかなど、尋ねたり、探したりする調査です。
今回の時間旅行ムナカタでは、悉皆調査が市史編さんにどのような形で役立つのかを、以前、旧宗像市で実施した事例を参考にしながら振り返って見ることにしましょう。
悉皆調査で発見された大日如来坐像
写真1は、平成2年7月に吉武地域で発見されたもので、「上善寺の大日如来(だいにちにょらい)坐像」として『宗像市史通史編』第4巻に掲載されています。
この悉皆調査では、久戸・上善寺地区にある山中に文化財がないかと、歩いて探しまわる「踏査」といわれる手法で探査していたところ、目の前に、壁が破れ、柱は折れ、屋根も朽ちて落ち、半分倒壊したお堂が見付かったのです。
中にもぐり込んで見てみると、そこには、一体の仏像が奇跡的に潰れることなく、静かに坐していました。
光背や宝冠、瓔珞(ようらく=ネックレス)などは失われていましたが、よく見てみると、大日如来をかたどった仏像であることが確認されました。
その後の調査で、この仏像は、ヒノキ材で造られていることが分かりました。
技法や姿から分かる当時の様式
発見された大日如来坐像は、頭と体の部分を一つの材で彫りだす「一木造り」といわれる造り方で、本体部分に肘から先を取り付けています。
木材は、乾燥すると割れる性質のため、仏像に割れが生じることがあります。そのためこの仏像は、背中を割って木芯をくりぬいて空洞にする「内刳(うちぐ)り」といわれる技法を使って、仏像が割れることを軽減させる工夫が凝らされています。
仏像の顔の掘りは、鋭利で、引き締まり、体は、肉付きのよい豊かな感じがみられます。
衣の文様は、浅く刻まれ、形式化され、流麗で均整のとれた姿に仕上げられています。
このような技法や姿は、平安時代に、奈良や京都ではやった仏像を造るときの様式の一つです。宗像地域にこのような仏像があることは、悉皆調査で山中に踏み入らなければ、分からなかったことです。
眠れる文化財を探して
この成果は、「宗像市史通史編」第4巻の執筆時に、平安時代の仏像彫刻として掲載され、宗像地域の平安時代には、都風の仏教文化が華開いていたことがうかがえる資料となっています。
また、後にこの仏像は、市の指定文化財となり、修復されました(写真2)。上善寺地区では、新たな堂が建設され、今は、この堂に安置され、地区の人々から大切にまつり守られています。
このように、悉皆調査は、宗像地域の歴史を物語る中で、眠れる文化財から新たな事実を引き出し、歴史の表舞台に立たせることのできる役割を担っています。
これから、宗像市史編さん事務局では、悉皆調査に入ります。市の歴史を塗り変える文化財が、眠りから覚めるかも知れません。ぜひ、みなさんの理解と協力をお願いします。
(文化財職員・安部裕久)

発見当初の大日如来坐像

修復後の大日如来坐像