Language
閲覧支援
文字サイズを変更する
拡大標準
背景色を変更する
青黒白
- やさしい日本語 -
やさしい日本語 元に戻す

時間旅行ムナカタ第103回「お金の話・復活編」

最終更新日:
(ID:4397)

更新日:2022年3月29日

貨幣経済の復活

前回は、7世紀後半から始まるわが国の貨幣制度について話しました。しかし、発行当初からのニセ金の流布や金融政策の失敗で、国家は10世紀中頃には貨幣経済をあきらめてしまいます。だからといって民衆はさほど困ることなく、これまで通りの絹布や稲モミなどを交換単位とした物品貨幣で事足りていました。

ところが11世紀頃からは中国・宋との民間貿易が盛んになり、それとともに国際的な決済手段として中国で発行された渡来銭が大量に日本へ流入することになります。図らずも流通現場の要請によって、古代国家が成し得なかった本格的な貨幣経済が到来するのです。

備蓄銭の流行

この頃から貴族や豪商・有力武士の中には大量の銭貨を蓄える者が現れ、壺や甕などに収めて地下に埋納する風習が流行します。「備蓄銭」「埋納銭」などと呼ばれ、数千枚から数万枚、中には数十万枚も出土した例もあります。いわば地下を天然の金庫として埋められたものが、いつしか忘れ去られたのでしょう。

市内でも戦時中、大島の安昌院境内で防空壕を掘削中に発見された例があります。残念ながら大半は政府に銅素材として供出してしまいましたが、幸いにも銭貨を収めていた壺とサンプル76枚が残され、室町時代の前半期(14世紀後半~15世紀前半)頃に埋められたことが分かりました。

このことは、宗像氏の庇護下にある大島においても中国を中心とした巨大な東アジア貿易圏に含まれ、決済手段として銭貨を用いる商業活動が行われていた証しといえるでしょう。(文化財職員・白木)

 

  • 壺・・70kg (約2万枚) の銭貨が入っていたと推定されるの画像
このページに関する
お問い合わせは
(ID:4397)
ページの先頭へ
海の道むなかた館

【開館時間】9時から18時

【休館日】毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)年末年始(12月29日から翌年1月3日)

【入館料】無料(特別展示等の場合は、有料となることがあります。)

【駐車場】車:114台(身障者用4台)バス:6台

〒811-3504
福岡県宗像市深田588番地
TEL.0940-62-2600 FAX.0940-62-2601

©2025 Munakata City

ページトップへ戻る
  目的からさがす
Languages