更新日:2016年4月5日
「宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、平成21年1月にユネスコ世界遺産暫定リストに記載されました。それから5年、宗像市は、福岡県、福津市と共に国内外の専門家を交え、資産価値の証明や資産を守るための緩衝地帯の設定について、研究・議論を重ねてきました。そして、いよいよ今年の7月、文化庁に世界遺産登録のための推薦書原案を提出します。
世界遺産には、文化遺産、自然遺産とその両方を兼ね備える複合遺産の3種類があり、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」は文化遺産での登録を目指しています。
平成24年から、1つの国がユネスコ世界遺産センターに提出できる文化遺産の推薦書は、1年に1件となりました。国内の暫定リスト記載遺産は9件あります。今年7月、日本政府は推薦書原案を提出した遺産の中から推薦遺産を決定する予定です。今年、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の推薦が決定された場合、平成27年に、世界遺産センターが依頼したイコモス(国際記念物遺跡会議)が現地調査に訪れ、平成28年の世界遺産委員会で登録の可否が決定します。
世界遺産としての価値
沖ノ島では、4世紀後半、島の巨岩の上を祭場とした国家的な祭祀(さいし)が始まり、その後約500年にわたり、全国的にみられる露天での祭祀へと移り変わっていく遺跡が、今に残っています。この露天祭祀は、大島の中津宮や田島の辺津宮でも同時期に実施されていて、現在それぞれに社殿が建てられ、信仰が続いています。沖ノ島で始まった自然信仰から日本固有の信仰への移り変わりが確認できる場所は、世界にたった1つ、ここ宗像しかありません。
岩上祭祀遺跡
古事記・日本書紀が語る宗像の重要性
古代、日本が国家を成立させ、国家として成熟させていくためには、大陸の優れた技術や文化が必要不可欠でした。このため、日本と大陸との海を行き来しなければならず、大陸と宗像を結ぶ海の道は、日本にとって最も重要でした。
当時、大陸と日本の玄関口であった宗像がどれほど重要だったのか、日本最古の歴史書から読み取ることができます。日本書紀には、日本の総氏神といわれる天照大神(あまてらすおおみかみ)が、娘神の宗像三女神に「大陸への海路に降りて、歴代天皇を助け、天皇より篤(あつ)い祭を受けられよ」と命令したと書かれ、古事記には「宗像三女神は宗像氏らが祭る神」と書かれています。沖ノ島で出土した神へ捧げられた宝物が、一級品ばかりであったことからも重要性が伝わってきます。
日本最古の歴史書「日本書紀」
構成資産の紹介
【沖ノ島】
神宿る島「沖ノ島」
古代からあつい信仰で守られてきた神宿る島。神に捧げられた数々の貴重な宝物は、約8万点が国宝に指定されています。
【宗像大社】
三女神をまつる宗像大社(辺津宮)
沖津宮、中津宮、辺津宮からなる宗像三女神をまつる神社で、古代から現代までの祭祀の発展を伝える厳かな信仰の場です。
【新原・奴山古墳群】
新原・奴山古墳群
航海技術にたけた宗像氏は、大陸と日本との水先案内を務め、沖ノ島の祭祀も担いました。海を望む台地に築かれた古墳群は、この海域を支配した一族の象徴です。
このページに関する問い合わせ先
教育部 世界遺産課
場所:海の道むなかた館
電話番号:0940-36-9456
ファクス番号:0940-62-2601
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